きょうから、私と写真の歴史をお伝えしますね。
わたしは今、写真が大好きです。
写真を通して、人に幸せを伝えたいと思っています。
でも、昔から写真が好きだったわけではなく、
あるきっかけで、写真が好きになったのです。
写真に対しては、ずっとコンプレックスを持っていて、
写真を好きではなく、
“やらなければならない!”という
義務で写真を撮っていました。
運命と宿命、そして友人やメンターとの出会い。
書くと、長ーくなるので、数回に分けて、お伝えしていきます。
私は、茨城県水戸市にある、
今年で127年目の老舗写真館に生まれました。
![](http://www.photo-bliss.com/wp-content/uploads/2018/01/大正時代の小貫写真館s-561x800.jpg)
兄弟は姉と妹。
私が男の子一人ということもあり、
昔から四代目として、
“お前がうちの後を継ぐんだよ!”
と言われ(洗脳され)、育ちました。
幼い頃は、それをなんの疑問も持たず、
“自分が写真館の後を継ぐことが、みんなが喜ぶことなんだ!”
と思っていました。
小学校の頃の文集でも、
「将来は、写真館の後を継ぎたい!」
と書いていたくらいです。
今思うと、それが当たり前で、
何か他の職業に就きたい、という夢もなかったんですね。
ちょっとそれも寂しいですね。
そのせいか、将来は写真をやるというのをわかっているので、
中学では写真クラブ、高校では写真部に所属していました。
もちろん、他の運動部にも入っていたので、
あくまでも、所属だけという感じです。
所属だけとはいえ、
文化祭などでの出品はしなければならず、
自分がいいと思った写真を出品しました。
写真部顧問の先生は、友人の写真はすごく褒めるのですが、
私の写真については何も言いません。
私は、
“自分って、あまり写真うまくないのかなー?”
と、疑問に思うようになってきました。
当時は、写真の良し悪しもわからず、
自分の写真が上手いか下手かもわかりません。
そのころ、写真館と自宅は一緒だったので、
帰るとスタッフも数名いました。
そのスタッフも私の写真を見て、
「なんか他の写真なかったの?」と言うくらいなので、
“自分は、やっぱり写真はうまくないんだなー”
と思い、疑問が確信に変わりつつありました。
得意ではないものをやっていく、ってあまり幸せなことではないですよね。
一度も自分の撮った写真を褒められたこともなく、
“写真館の後継ぎになるんだろうなー”
という意識もありながら、写真を撮っているので、
写真は義務でやっていて、楽しいわけではありませんでした。
そのころ、写真は自分にとっては、
“苦手だけどやらなければならないもの”
だったんですね。
今思うと、
好きではなかった写真も、
ずーっと続けてきたことによって、
“写真が嫌いな時代もあったなー”
という思い出になっています。
幼少の頃でひとつ、心から感謝したいのは、
生まれた頃から、写真に囲まれて育ったこと。
この事実は、今の自分の中で、
とても大きいです。
写真館に生まれたのは、
やはり、写真とともに生きるのが宿命だったんだということ。
ただ、それを受け入れられるのは、
今日の話の約20年後になりますが・・・
森藤ヒサシ Hicky
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