“私と写真の出会い(幼少編)”

 

きょうから、私と写真の歴史をお伝えしますね。

 

わたしは今、写真が大好きです。
写真を通して、人に幸せを伝えたいと思っています。

 

でも、昔から写真が好きだったわけではなく、
あるきっかけで、写真が好きになったのです。

 

写真に対しては、ずっとコンプレックスを持っていて、
写真を好きではなく、
“やらなければならない!”という
義務で写真を撮っていました。

 

運命と宿命、そして友人やメンターとの出会い。

 

書くと、長ーくなるので、数回に分けて、お伝えしていきます。

 

 

私は、茨城県水戸市にある、
今年で127年目の老舗写真館に生まれました。

大正時代の小貫写真館

兄弟は姉と妹。
私が男の子一人ということもあり、
昔から四代目として、

 

“お前がうちの後を継ぐんだよ!”

 

と言われ(洗脳され)、育ちました。

 

 

幼い頃は、それをなんの疑問も持たず、
“自分が写真館の後を継ぐことが、みんなが喜ぶことなんだ!”
と思っていました。

 

小学校の頃の文集でも、
「将来は、写真館の後を継ぎたい!」
と書いていたくらいです。

 

今思うと、それが当たり前で、
何か他の職業に就きたい、という夢もなかったんですね。
ちょっとそれも寂しいですね。

 

そのせいか、将来は写真をやるというのをわかっているので、
中学では写真クラブ、高校では写真部に所属していました。

 

もちろん、他の運動部にも入っていたので、
あくまでも、所属だけという感じです。

 

所属だけとはいえ、
文化祭などでの出品はしなければならず、
自分がいいと思った写真を出品しました。

 

写真部顧問の先生は、友人の写真はすごく褒めるのですが、
私の写真については何も言いません。

 

私は、
“自分って、あまり写真うまくないのかなー?”
と、疑問に思うようになってきました。

 

当時は、写真の良し悪しもわからず、
自分の写真が上手いか下手かもわかりません。

 

そのころ、写真館と自宅は一緒だったので、
帰るとスタッフも数名いました。

 

そのスタッフも私の写真を見て、
「なんか他の写真なかったの?」と言うくらいなので、

“自分は、やっぱり写真はうまくないんだなー”

と思い、疑問が確信に変わりつつありました。

 

 

得意ではないものをやっていく、ってあまり幸せなことではないですよね。

 

一度も自分の撮った写真を褒められたこともなく、
“写真館の後継ぎになるんだろうなー”
という意識もありながら、写真を撮っているので、
写真は義務でやっていて、楽しいわけではありませんでした。

 

そのころ、写真は自分にとっては、
“苦手だけどやらなければならないもの”
だったんですね。

 

 

今思うと、
好きではなかった写真も、
ずーっと続けてきたことによって、
“写真が嫌いな時代もあったなー”
という思い出になっています。

 

幼少の頃でひとつ、心から感謝したいのは、
生まれた頃から、写真に囲まれて育ったこと。

 

この事実は、今の自分の中で、
とても大きいです。

 

写真館に生まれたのは、
やはり、写真とともに生きるのが宿命だったんだということ。

 

ただ、それを受け入れられるのは、
今日の話の約20年後になりますが・・・

 

 

 

森藤ヒサシ Hicky

 

 

 

森藤ヒサシのイベントやセミナー情報はメルマガを中心に発信しています。

メルマガは大変多くの方に購読いただいており
「毎日メールが来るのが楽しみ!」
とご好評いただいております。
FBなどでも、セミナー案内もしておりますが、
メルマガで詳しく説明しておりますので、
ぜひメルマガ登録しておいてください!!
もちろん無料です。
ウザくなったら解除してね。

森藤ヒサシのメルマガ”LIght & Shadow”はこちらから ↓↓↓↓
http://www.photo-bliss.com/mailmagazine.html

#森藤ヒサシ #Bliss

Facebook
Twitter
Pinterest
Email

関連記事

Translate »